台風最大リスクの検証
〜もしも伊勢湾台風が関東を襲ったら〜


2014年度 卒業論文

気象研究室 山崎聖太

 2013年の春に研究室に迎え入れていただいてから、はやくも2 年。
とりあえず2年間の集大成として書き上げた卒業論文。その一部をご紹介いたします。 



1)研究背景

 日本において明治以降の台風でもっとも人的被害が大きかった台風は1959年9月に和歌山県潮岬の西に上陸した「伊勢湾台風(国際名: Vera)」である(図1.1)。この台風は上陸時の中心気圧が929hPaに達し「第二室戸台風」の925hPaに次いで観測史上2位の記録を残してい る(図1.2)。



図1.1: 伊勢湾台風の経路図                                     図1.2: 伊勢湾台風の中心気圧の時間変化
(青:熱帯低気圧 赤:台風 緑:温帯低気圧 数字は日付)              (青: 熱帯低気圧 赤:台風 緑:温帯低気圧 観測時刻はUTC表示)


 伊勢湾台風により記録されている被害は死者4,697名、行方不明者401名、負傷者38,921名、住家全壊40,838棟、半壊113,052棟、 床上浸水157,858棟、床下浸水205,753棟となっている。この伊勢湾台風による犠牲者数は第二次世界大戦後から1995年の兵庫県南部自身が発 生するまでの自然災害で最多となった。

いったい、伊勢湾台風が関東を襲っていたら、 どういうことになっていたのだろうか。


2)目的

 本研究では、数値シミュレーションにより、伊勢湾台風の経路を意図的に少し づつ操作し、上陸位置を変えながら複数回にわたり日本を横断させる。そして得られた、複数の台風経路の中から、全国各地それぞれにとって最も危険な経路を 算出す る。また、それぞれの地域において台風によりもたらされる降水・風速分布や強さに日本地形が与える影響を調査する。さらに、地域ごとの台風災害の 軽減に役立つ「台風ノモグラム」を作成することを目的とする。

3)研究手法


 本研究は4つのステップを踏む
(step1)  様々な計算設定の組み合わせのもと伊勢湾台風の再現実験を行い、再現性が最も高い結果を得る。
(step2) (step1)の台風を経度方向へ平行に移動させながら
計81 本の台風(伊勢湾台風1号〜81号)を日本 列島に上陸させる実験を行う。
(step3) 81本の台風経路と、それぞれの地域で計算された風速および降水量の結 果を得て「台風ノモグラム」を作成する。
(step4) 各地域にとっての台風最悪コースを検出する。

step1〜伊勢湾台風の感度実験〜
・鉛直解像度の感度実験
 本研究では予備実験として1959/09/24/00:00を初期時刻として、鉛直層数を変えた実験を試みた。図3.1は鉛直層数を29層とした実験と 40層とした実験により、再現された台風の中心気圧の時系列を比較したものある。この結果から、中心気圧から見た台風の発達に、有意な差が現れなかったた め、29層と40層との鉛直解像度の差が与える影響は小さいと判断した。したがって、以降の実験では計算コストがより低い、29層を鉛直層数と定めた。

図3.1: 鉛直層数別の中心気圧の時系列
(赤線:鉛直29層 青線:鉛直40層 黒線:ベストトラック)

・水平解像度の感度実験
次に、Domain1の水平解像度を変えながら複数の実験を行い、再解析データからDomain1にダウンスケールするために最も適した水平解像度を調べ た。計算された解像度別の中心気圧の結果を図3.2に示す。

図3.2: Domain1における水平解像度別の中心気圧の時系列
(緑:24km 紫:18km 赤:12km オレンジ:09km ピンク:06km 黒:ベストトラック)

 この感度実験により、JRA55からDomain1にダウンスケーリングして最も気圧が深まる水平解像度は18kmであることがわかった。よって以降、 Domain1の水平解像度は18kmに固定し感度実験を行った。一方で、どの水平解像度においても観測ほどの気圧の低下が得られなかった。これは JRA55の初期渦が弱すぎることや、スピンアップの時間が少ないことが、原因であると考えられる。本研究では、再解析された弱い初期渦を強化するために 台風ボーガスを利用した。

・台風ボーガスの利用
 台風ボーガスとは、人工的な構造をもつ理想化された台風を擬似的な観測データとして初期値に埋め込む手法を意味し、気象庁をはじめ世界の気象機関で予報 に用いられている。
 計算初期時刻(1959/09/23/18:00)におけるJRA55から作成した初期値の台風(3.3・3.4左図では黒線で表した)は中心気圧が 961hPaと観測値の895hPaに比べ気圧の深まりが浅くなっている。また最大風速も32m/sと弱い(図3.4右図)。これはJRA55の水平解像 度 が、およそ140kmと粗い解像度であるため、JRA55をもとに内挿し初期値を作成しても台風本来のシャープな構造を再現しきれていないためである。こ のような、元データの解像度依存によって渦が弱まった初期値を用いてシミュレーションすると、台風の強度予報における精度の低下につながる。これを防ぐた めに本研究では台風ボーガスを用いて、JRA55の気象場から台風を部分的に取り除きシャープな構造をもつ理想的な台風に置き換えた初期値を作成し実験を 行った。

図3.3: ボーガス使用前(左)とボーガス使用後(右)の初期値における台風の比較(コンター:海面気圧)

図3.4: 初期時刻の台風の中心緯度(20.2N)における経度断面図(左:海面気圧 右:風速)

 これらの台風ボーガスにより、初期 渦を強化した初期値をもとに再現実験を行った。ボーガスを使用した実験結果と、ボーガス未使用の初期値をもとに計算した 中心気圧の時系列を図3.5に示した。ボーガスを使用した場合の中心気圧を赤線で、使用しなかったケースを黒線で、ベストトラックを青線で表している。 ボーガスの使用により中心気圧が大幅に観測結果に近づいている。

図3.5: 台風ボーガスを使用した時の中心気圧の時系列

 以下にシミュレーションにより得られた台 風の3次元雲分布を示した。台風が和歌山県に上陸する様子が再現されている。

動画を再生するにはvideoタグをサポートしたブラウザが必要です。


   図3.6に伊勢湾台風の 気象庁ベストトラックとシミュレーショントラックを示した。この結果より、シミュレーションされた伊勢湾台風の経路がベストトラックと非常に近くなってい ることが確認でき、経路の再現性が妥当であることを示し ている。
 以上の結果より、Domain1において再現された台風が経路・強度ともに再現性の高い結果が得られたといえる。


図3.6: Domain1におけるコントロールランとベストトラックの比較




step2〜伊勢湾台風のマルチラン〜

 次に、計算領域のとりかたについて以下の方法を考えた。まず本実験では図3.7の中央図のように、コントロールラン(以下CTLランと 記す)の中心経度を東経140°とし、薄黒色の領域を計算領域とした。このCTLランに対して、大気の場を東西に水平移動させた実験では、計算領域の中心 経度も同様に動かした。例えば、気象場をCTLより西に8.0°水平移動した初期値を使って計算を行う場合、計算領域の中心経度も同様にCTLよりも西に 8.0°動かしてとり、計算を行った。本研究では、台風を東西方向にそれぞれ8.0° (約800km)の範囲において0.2°(約20km)間隔で台風を移動させ、計81ケースのシミュレーションを実施した。


図3.7: コントロールランと東西に8°台風を水平移動した実験例(赤 いマークは水平移動していない台風の初期位置)

 CTLラン、西に8だけ°水平移動した実験、東に8°だけ水平移動した実験における Domain1とDomain2の計算領域を図3.8にまとめた。外枠がDomain1、内枠が Domain2の計算領域である。解像度はDomain1が18km、Domain2が6kmである。

3.8:
コントロールランと東西に8°台風を水平移動した実 験の各計算領域(外枠がDomain1 内枠がDomain2)

 81ケースのシミュレーションの計算領域と気象場のデータの与え方を模式的に図3.9 に示した。中央図は100km間隔でまびきつつ示した台風の初期位置で、右図はそれぞれの位置から計算した台風のトラックである。台風のトラックがCTL に平行に日本を横断した。

図3.9:東西800kmの範囲を20km間隔でずらしている様子(左)   ずら した台風の初期の中心位置(中央)と各初期位置位置から計算された台風のトラック(右) 

 
CTLラン、西に8だけ°水平移動した実験、東に8°だけ水平移動した実験における同時 刻(CTLの上陸時刻)の台風の位置を図3.9に示した。


図3.9 同時刻におけるコントロールランと東西に8°台風を水平移動した台風
 

4)実験結果


 図4.1はDomain1およびDomain2で計算された全メンバーの台風経路である。CTLランを赤線、西側に水平移動したランを緑線、東側に水平 移動したランを青線で表した。図4.2は全メンバーの台風の中心気圧・図4.3は最大風速の 時間変化を示したグラフである。色区分は図4.1と同様であるが、比較のため図4.2には黒線でベストトラックの中心気圧を加えた。

図4.1: Domain1およびDomain2で計算された全メンバーの台風経路(赤:CTL 青:東 緑:西)

図4.2: Domain1およびDomain2における台風の中心気圧の時系列(黒:BT 赤:CTL 青:東 緑:西 )

図4.3.: 全方位で平均したDomain1およびDomain2における最大風速の時系列(赤:CTL 青:東 緑:西)

 Domain2における台風の中心位置と中心気圧(図4.4) および最大風速(図4.5)の分布図を作成 した。プロットの位置は全実験における台風の中心位置、カラーは台風の最大風速を示している。 海面温度の高い南東で台風の強度が強くなっている。上陸付近では強度が同程度になっていることも見てとれる。

    
図4.4: Domain1とDomain2における台風の中心気圧と台風の中心位置                    図4.5: 全方位の値を平均した台風の最大風速と台風の中心位置


step3〜台風ノモグラムの作成〜

・台風ノモグラムの作成方法
 計算図表と訳されるノモグラムは、種々の状態量や事象間の関係をあらかじめ計算しておき、その関係を図表に表現することで、数値計算を簡単に、効率的に 行 うために利用される。まずはじめに、実験結果を用いて台風ノモグラムを作成する手順を説明する。
な お、卒業研究では、台風の最大風速を加味し規格化した台風ノモグラムや、雨を変数としたものなど多様なノモグラムを作成したが、今回はそのうち最もシンプ ルな風速の絶対値を用い たノモグラムを紹介する。

 マルチランにより得られた複数の台風の位 置と、その時の小田原での風速の値を用いて散布図を作成した(図4.6)。プロットの位置は台風の中心位置、カラーはそれぞれの観測地点での10m風速 を示しており、ピンクの縦線と横線はそれぞれ小田原の経度・緯度を意味している。
 これをみると、台風の最大風速の分布とは異なり、小田原では上陸後に風速が強くなっている。また東西方向で風速が強くなる台風の中心位置は異なり、小田 原 ではとりわけ西方向を台風が通過した時に風速が強くなっている。この散布図の値からコンター図を作成し図4.7に示した。ここでは、
こ の図を小田原における風速の台風ノモグラムと呼ぶこととする。なお図のベクトルはgrid補間した観測点の10m東西風と10m南北風を用いて描いたもの であり、ベクトルの向きは台風の中心がベクトルの位置にあるとき に観測点でふいた風向を示している。
 
 
図4.6:台風の中心位置と小 田原で観測された風速の散布図                    図4.7:散布図から 作成した小田原における風速の台風ノモグラム


  神奈川の解析地点における風速の台風ノモグラムを同様に作成した(
図4.8.1〜 図4.8.4)。図より地域によって、多様な分布を示し、危険な台風経路が異なることが示された。



図4.8.1:丹沢湖(左)・箱根(中央)・小田原(右)における風速の台風ノモグラム

図4.8.2:相模湖(左)・相模原中央(中央)・海老名(右)における風速の台風ノモグラム

図4.8.3:平塚(左)・辻堂(中央)・日吉(右)における風速の台風ノモグラム

図4.8.4:横浜(左)・三浦(右)における風速の台風ノモグラム

5)考察
 地域によって危険な台風の経路が異なった要因を考察する。鍵となるのは、神奈川の「地形」である。では、小田原 を例として説明する。
 図4.7をみると、小田原 では小田原の東側を通過するときに比べ、西側を台風が通過するときに風速が強くなっている。さらに風速が強くなっている台風の通過位置での、小田原の風の 風向が南寄りであることがわかる。これを地形と関係付けて考察する。小田原は西側を箱根山地、北側を丹沢山地と面している(図5.1)。


図5.1: 小田原の位置と周囲の地形

 もしも、台風が小田原の東側を通過した場合は図5.2のように、台風に伴う北風が小田原に吹き込む。このとき、北風は丹沢山地に弱められて小 田原に 到達することとなる。一方、西側を台風が通過した場合は小田原に台風に伴う南風がもたらされる。このとき、台風による風は海から直接吹き込むため、地形に 弱められることなく強さを維持して小田原に到達する。このように地形の影響を受けて、地域ごとに風速の強くなる台風の通過経路の分布が異なったと考えらえ る。小田原以外の地域でも、何らか地形の影響を受け、危険な台風経路の分布が変化したと考えられるが、本研究では全地点の考察を行っていない。

図5.2: 小田原の東西方向を台風が通過した時の風速と地形の関係図


6)結論


step4〜台風最悪コースの検出〜
 本研究の最後として、シミュレーションされた全81の台風経路の中から、神奈川の各観測地点における台風最悪コースを導いた。風速につい ては「最も強風が持続した経路」を最悪コースの基準とした。神奈川県における風速の最悪コースは図5.3.1〜図5.3.4に示した。


図5.3.1:丹沢湖(左)・箱根(中央)・小田原(右)における風速の最悪コース

図5.3.2:相模湖(左)・相模原中央(中央)・海老名(右)における風速の最悪コース

図5.3.3:平塚(左)・辻堂(中央)・日吉(右)における風速の最悪コース

図5.3.4:横浜(左)・三浦(右)における風速の最悪コース



まとめ

1.伊勢湾台風を数値シミュレーションにより再現し、再現性の高い結果を得た
2.台風の経路を操作して、日本列島に81ケースの経路で伊勢湾台風を横断させた
3.地域ごとに災害軽減に有効な台風ノモグラムを作成した
4.台風の危険な通過経路は地形の影響を受け地域ごとに多様に変化した
5.神奈川11地点で台風の風速における最悪経路を導いた



今後の課題
 

 本研究には課題が山積みである。例えば、以下のようなことあげられる。

 神奈川の小田原以外の地点の地形の影響を明らかにすること
 他県の地形の影響を明らかにすること

 観測値や気象庁モデルとの差異を考慮し、台風ノモグラムの調整すること
 実験対象とする台風を増やし、危険経路や台風ノモグラムが変化するのかを検証すること
 シミュレーションの解像度を細かくし、その影響を調査すること 

 今後、台風ノモグラムの統計的有用性を、
こ れらの課題に取り組むことで高めることがで きれば、利用価値が非 常に高いツールとしてとなりうると考えている。


謝辞

 卒業論文を進めるにあたり、筆保先生をはじめとして研究室メンバーのみなさまには、卒論発表会の練習の中で貴重なご意見・ご助言をいただきました。ま た、海洋研究開発機構のシー ムレス環境予測研究分野のみなさまには、解析のアドバイスや先行研究をご紹介いただきました。みなさまに深く御礼申し上げます。
 遠く離れた地から、2年間の研究生活、4年間の大学生活を支えてくれた両親・姉弟・祖父母・叔父、山崎家の皆様には、感謝してもしきれません。今後、時 間をかけて恩返ししていきます。本当にありがとうございました。

2015 3.25