修士論文:台風シミュレーションに基づく強風ハザー ド評価 -台風ノモグラムの開発-

横浜国立大学大学院 教育学研究科 修士二年 山崎聖太

研究の背景

台風の位置と地域の強風
 台 風の理想的な風分布を考慮すれば(図1.1)、ある地域から見ると台風が地域に近いほど強風となり、台風の進行方向右側に地域が位置する場合に強風リスク が高まる。しかし、台風に伴う風の向き・強さは地形の影響を受けて複雑に変化する。各地域で周囲の地形的特徴は異なるため、それに応じて強風を伴う台風位 置も地域毎に異なる。したがって、台風に伴う強風災害を軽減するには、各地の地形を考慮した上で強風をもたらす台風位置を地域毎に理解すること、その理解 を防災情報として社会に共有することが重要である。


図1.1 理想的な台風の風分布:台風は渦状であるため、北半球で は台風の中心に対して反時計回りに回転している。その渦としての風速場に、台風の移動速度の成分が足されるため、台風の移動方向に対して右側の半径で風が 強まり、左側では弱まる。また、台風の風は外側に比べ中心に近い方が強い。しかし、眼にあたる部分は弱風となる。

台風ノモグラム
 横須賀の米 国海軍基地において、台風ノモグラムと呼ばれる図が作成された(Jarrel,1982)。彼らの作成した横須賀の台風ノモグラムは、どれだけ強い台風が どこに位置すると、どれだけの風が横須賀で吹くのかを示している(図1.2)。横軸が経度、縦軸が緯度を示し、図の中心が横須賀を示す。等値線は台風通過 時の横須賀の風速を台風の最大風速で割った”風速比”を示す。つまり、風速比が70%の位置に台風(最大風速30m/s)が存在すると、0.7x30= 21m/sの風が横須賀で吹くと見積もれる。台風ノモグラムは、実際に横須賀周辺の地形の影響を受けた風をもとに作成されるため、地形を考慮した横須賀の 強風ハザードとみなせる。台風ノモグラムは、Jarrellらにより岩国や佐世保の米軍基地で作成されており(図1.3)、現在も横須賀基地で台風時の風 予測に利用されている。国内機関においても南大東島地方気象台で作成されている(比嘉ら,1992 ;南大東島地方気象台, 2000 など)。

 台風ノモグラムは、その性質・米軍での利用実績を踏まえると、防災情報(台風ハザードマップ)としての応用を期待できる。しかし過去の研究で台風ノモグ ラムが作成されている地点は数カ所であり、それぞれ異なる手法・定義をもとにしている。また、彼らの手法では作成可能な地点が長期間の観測を有する地点に 限られる。


図1.2 横須賀基地で作成された台風ノモグラム: Jarrelland Englebretson(1982)のFig3・Fig5より引用。横軸・縦軸はそれぞれ経度と緯度、中心の点は横須賀基地の位置を示す。等値線は平均 風速比を表し単位は%である。左図は横須賀基地から360 NM(Nautical Miles)≒666 km以内に中心が位置した強度64 kt未満の台風、右図は強度64kt以上の台風をもとに求めた風速比分布を示す。台風の中心位置を図に対応させ、その位置における風速比に台風の最大風速 を乗じることで、横須賀の風速を見積もることができる。


図1.3 佐世保基地と岩国基地で作成された台風ノモグラム: Jarrell(1988)のFig6・Fig11より引用。左図が佐世保基地、右図が岩国基地で作成されたもの。横軸・縦軸はそれぞれ経度と緯度、中心 の点はそれぞれの基地の位置を示す。等値線は平均風速比を表し単位は%である。それぞれ基地から360 NM(Nautical Miles)≒666km以内に中心が位置した強度64kt未満の台風をもとに求めた風速比分布を示す。台風の中心位置を図に対応させ、その位置における 風速比に台風の最大風速を乗じることで、それぞれの基地における風速を見積もることができる。


研究目的
 以上の背景から、数値シミュレーションを利用して日本各地の台風ノモグラムを作成すること。また、それにより地形を考慮した台風に伴う強風ハザード評価 を全国で実現し、その結果を防災情報として社会に実装することを本研究の目的とする。


手法
台風経路アンサンブルシミュレーション
  台風ノモグラムを作成するためには、分布に偏りのない多くの台風経路が必要となる。このような場合、台風経路アンサンブルシミュレーションが有効となる。 台風経路アンサンブルシミュレーションとは、数値シミュレーション上で再現される台風の経路を操作することで、現象に対する台風経路の影響評価を可能とす る手法である。経路アンサンブルシミュレーションには様々な手法が提案されているが、本研究では数値モデルに入力する大気場と地形データの相対的な位置関 係を書き換えることで、初期時刻における台風の位置を操作した。モデルに入力する初期・境界値には、気象庁55年長期再解析の1.25度格子データを利用 し、海面温度および地上2m温度を除く物理量(海面更正気圧・地表面気圧・地上10m南北風・地上10m東西風・地上2m相対湿度・東西風・南北風・ジオ ポテンシャル・相対湿度・温度)に関して緯度経度の書き換えを行った。図2.1にコントロールランと東西に5.0度シフトした実験の設定例を示す。



図2.1 実験ドメインの設定例:それぞれT6118を対象とした (a)西5.0度シフトラン、(b)コントロールラン、(c)東5.0度シフトランのドメイン。海面更正気圧を等値線で、風向および風速を矢羽で示してい る。

数値モデル
 数値モデルには Weather Research and Forecasting Model (WRF-ARW) Version 3.6.1(Skamarock et al. ,2008)を用いた。境界層スキームはYonsei Universityschemeを選択した。その他の設定は図2.2・表1にまとめている。



図2.2 WRFで考慮する物理・力学過程の模式図


表1 WRFの計算条件:放射過程は短波放射・長波放射ともに同一 のスキームを用いたため統一している。


対象事例
 経路アンサンブルシミュレーションの対象とした台風事例は表2の通りである。対象とした事例は強風災害を日本にもたらした台風の中から選択した。また、 日本近海に対象事例を除く他の台風が存在しない時刻をシミュレーション期間とした。

表2 対象とする台風の計算設定:シフト範囲に記したw・eはそれ ぞれシフトした方位(west・east)の頭文字を示す。計算期間はDomain1における設定を記した。


・台風ノモグラムの作成方法
 先行研究では、地点を中心とした円を等面積の71のセルに分割した座標(図2.3)をもとに台 風経路を分類し、各セル毎に風速比の統計値を求めている。そして、その風速比の統計 値を等 値線で示し台風ノモグラムとした(図1.2,図1.3参照)。本研究においても経路分類には同様の座標を利用しており、円の半径は500kmに設定してい る。しかし、防災情報としての利用を考慮して等値線ではなく、セルの色で風速比を示すことで情報をよりわかりやすくする工夫を施した。また、風速比の他に各 セルに台風が位置したときの最多風向を情報として追加した。


図2.3 台風経路の分類に用いた座標:円を半径方向に6分割し、 各セルは等面積にしている。Jarrell andEnglebretson (1982)では半径360 NM(約666 km)に設定されていたが、ここでは500kmに変更している。セルには中心から外側に向かって北から時計回りに番号をつけている。

結果・考察


・経路アンサンブルシミュレーションの結果
 以降に示す結果は全てDomain2における水平解像度5 kmの計算結果である。各台風はそれぞれ61〜121ケースの計算を行い、計828ケースの台風経路が得られた(図3.1)。シフトランの台風(細線)コ ントロールランの経路(太線)に対して平行に移動している。


図3.1 各事例の台風経路アンサンブルシミュレーションにより得 られた台風経路:それぞれ (a)T5822, (b)T5915,(c)T6118,(d)T9512, (e)T0406, (f)T1326, (g)T0418, (h)T1515の結果。太線がコントロールラン、細線がシフトランの台風経路を示す。T0418 のみ経路を南北にシフトした。

・横浜台風ノモグラムの作成結果
 日本の沿岸から500kmを覆う台風経路が得られたため、台風ノモグラムを作成した。図3.2にそれぞれの台風事例で作成した横浜の台風ノモ グラムを示す。カラーが風速比(横浜の地上10m風速/台風の最大風速)を示す。横浜では、台風が北西を通過した際に風速比が大きくなることが事例間で共 通している。なお、風速比の計算に用いた最大風速は、台風の中心を原点とした極座標において、方位角平均した地上10m風速の最大値と定義している。


図3.2 各事例で作成した横浜の台風ノモグラムと全事例を合わせ 作成した横浜の台風ノモグラム:それぞれ(a)T5822,(b)T5915,(c)T6118,(d)T9512,(e)T0406,(f) T1326,(g)T0418,図右下は7事例を合成したもの。色は風速比を示す。

・その他の地点の台風ノモグラム
 横浜と比較するため、全国7地点の台風ノモグラムを図3.3に示す。風速比の大きくなる台風位置が地 点毎に異なることがわかる。このような台風ノモグラムを5kmメッシュで全国を区切った約17000地点で台風ノモグラムを作成し た。

図3.3 全国8地点の台風ノモグラム。


・観測結果との整合性
 シミュレーションで作成した横浜台風ノモグラムを、観測値を用いて作成した横浜台風ノモグラムと比較を行った。図3.4に経路アンサンブルシ ミュレーションで生成された台風の経路と、観測された台風の経路を示す。観測の台風経路は気象庁のベストトラックデータを利用しており、位置と強度は一時 間間隔に線形補間を施している。また、それぞれの経路の色は風速比を意味している。なお、観測の風速比は気象庁ベストトラックに記録された"台風の最大風 速"と"AMeDASで記録された地上風速(10分平均)"との比である。観測に比べてシミュレーションでは、台風ノモグラムの作成により多くの台風経路 を利用することができている。
 図3.5は、それぞれのセルで風速比を平均して塗りつぶした横浜台風ノモグラムである。観測においても、シミュレーションと同様に北西を台風が通過した 際に風速比が大きい傾向が現れている。このことは、シミュレーション結果の正当性を支持しているといえる。また各セルの風向に着目すると、観測・シミュ レーション両方において、中心から見て反時計回りに回転していることが見て取れる。これは、台風の反時計回りに回転する風の構造(図1.1参照)を反映し ているためである。横浜台風ノモグラムを用いることで、台風の危険位置がわかるだけでなく、台風通過時の横浜での風向がわかり、
防 災用途としての有用性がより高まったといえる。


図3.4 横浜-台風ノモグラムの作成に用いた台風サンプルの位置:(a)シミュレー ションにより得られた台風位置、(b)気象庁ベストトラックデータにおける台風位置


図3.5 横浜-台風ノモグラム:(a)横浜-合成台風ノモグラム、(b)横浜-観測台 風ノモグラム。


 他の地点においても、シミュレーションと観測の比較を行った。図3.6はそれぞれ、左にシミュレーションをもとにした台風ノモ グラム、右に観測から作成した台風ノモグラムを並べている。横浜以外の地域においても、シミュレーションと観測それぞれが類似していることがわかる。




図 3.6 全国8地点の台風ノモグラム

・台風ノモグラムと地形
 台風ノモグラムに現れる地域固有の風速比分布と地形の関係性を調べるため、全国約17000地点の台風ノモグラムのパターン分類 を行った。分類手法には自己組織化マップ(Kohonen, 1982)を利用した。自己組織化マップは多 次元データ・非線形データの分類に用いられる手法である。マップサイズを4x4に設定し、16パターンで分類を行った結果を図 3.7に示す。各ノードに固有のパターンが現れていることが確認できる。これらのパターンが地形とどのような関係にあるかを調べる ために、それぞれのパターンの地域分布を調べた。図3.8は図3.7の枠色に対応させた配色で各パターンの 位置をプロットしている。 地域毎に共通のパターンが固まる傾向にあるが、それらのパターンが山の稜線や谷筋、海岸からの距離を境に分かれていることが確認できる。北陸では第三ノー ド(オレンジ)に対応しており、これらの地域では台風が東を通過したときに強風となる傾向を持つことがわかる。これは、北陸では台風が東を通過した際に、 日本海から地形に遮られることなく強風が吹き込むためであると推測できる。このように、台風ノモグラムが各地の地 形的特性を反映した強風リスクを示すことが明らかとなった。



図3.7 自己組織化マップにより各ノードに現れた台風ノモグラ ム:各マスの左上にノード番号、右上にはパターン名を記した。各マスの右下、左下の数字はそれぞれ各パターンに分類された地点数とその割合[%]を示す。 区別のため、各ノードの枠に色を割り当てた。各セルの風速比は0~1に正規化されている。


図3.8 16パターンの台風ノモグラムの地域分布:配色は図5.11における各パターンの枠色に対応する。ここでの解析には北海道を含めていない。

 より詳細なパターンを調べるため、全国の台風ノモグラムをSOMを用いて100パターンに分類した(図3.9)。 強風リスクの高まる台風位置がそれぞれのパターンで異なり、マップの左下付近には全体的に風速比が大きいパターン、右上には小さいパターンが現れた。図3.10 にそれぞれのパターンの分布をノード番号をもとに色分けし示した。 ノード番号が大きいパターンは東北や北海道に位置していること、中国地方では太平洋側と日本海側でパターンが別れること、九州では東西の地域でパターンが 異なることなどが読み取れる。


図3.9 自己組織化マップにより各ノードに現れた台風ノモグラム:各マスの左上にノード番号を記した。各マスの右下の数字はそれぞれ各パターンに分類さ れた地点数を示す。


図3.10 100パターンの台風ノモグラムの地域分布:プロットの色はノード番号を示す。

社会実装にむけて

・全国の台風ノモグラムの配信
 様々な検証の結果、開発した台風ノモグラムは防災情報として有効であると判断し、その提供準備を進めた。提供手段としては株式会 社エムティーアイ協力のもと、WEBサイトを媒介とすることを検討している。具体的には、同社が配信している生活情報サイト「ライフレンジャー天気」への 実装を進めており、2017年春からの配信を計画している。
 これらのサイトは位置情報と連動しており、各地域の台風ノモグラムを表示する。また、任意の地域の台風ノモグラムの検索も可能である(図5.1、図 5.2)。台風ノモグラムが広く認知され、個人の防災意識の向上・地域の防災計画へ利用されることを期待している。


図5.1 防災情報サイト開発状況


図5.2 防災情報サイトの利用イメージ :想定している3つの利用例を示す。

まとめ

 ・米軍などで利用されてきた台風ノモグラムを、防災情報として一般利用できるよう開発を行った。
 ・領域気象モデルを用いたシミュレーションにより、全国の台風ノモグラムの作成を実現し、観測結果との比較を通してその妥当性を議論した。
 ・台風ノモグラムに現れる風速比の特徴が、各地域の地形を反映していることを明らかとした。
 ・開発した台風ノモグラムを株式会社エムティーアイ協力の下、同社の配信する生活情報サイトへの実装を進めた。

参考文献
1) 比嘉 恒貞, 上江洌 司, 金城 康広, 「南大東島における台風用ノモグラムの作成」, 沖縄技術ノート, 第40号, pp.10-16, (1992).
2) Jarrell, J. D. and R. E. Englebretson, “Forecast aids for predicting tropical cyclone associated gusts and sustained winds for Yokosuka, Japan”, (1982).
3) Jarrell, J. D., “Forecasting aids for setting tropical cyclone conditions: Sasebo and Iwakuni, Japan”, (1988).
4) Kobayashi, S., Y. Ota, Y. Harada, A. Ebita, M. Moriya, H. Onoda, K. Onogi, H. Kamahori, C. Kobayashi, H. Endo, K. Miyaoka, and K. Takahashi, “The JRA-55 Reanalysis: General specifications and basic characteristics”, J. Meteor. Soc. Japan, 93, 5-48, doi:10.2151/jmsj.2015-001, (2015).
5) Kohonen, T. “Self-organized formation of topologically correct feature maps”, Biological Cybernetics, 43:59-69, (1982).
南大東島地方気象台, 「南大東島の台風ノモグラムの改良」, 沖縄技術ノート, 第55号, pp.40-46, (2000).
6) Skamarock, W. C., J. B. Klemp, J. Dudhia, D. O. Gill, D. M. Barker, M.G. Dura, X. Huang, W. Wang, and J. G. Powers, “A description of the advanced research WRF version 3, NCAR, Tech. Note, Mesoscale and Microscale Meteorology Division”, National Center for Atmospheric Research, Boulder, Colorado, USA, (2008).

謝辞
 本研究は、文部科学省気候変動リスク情報創生プログラムの支援のもと東京大学ならびに名古屋大学から計算資源の提供 を受けて実施された。また、京都大学防災研究所共同研究一般研究集会27K-03および28K-05の支援も受けた。指導教官をはじめとし、多くの研究者 の方々にご指導を頂いた。株式会社エムティーアイの皆様には、研究成果を社会に共有する上で、多くの助言を頂き、また共有する場を提供頂いた。関係各位に 感謝の意を表します。

作成:2017年3月