台風経路アンサンブルシミュレーションを用いた
日本沿岸における潮位偏差の算出


横浜国立大学大学院 教育学研究科 大滝 寿一


1. 背景と目的

 台風に伴って発生する高潮は、発生頻度こそ稀だが、ひとたび発生すれば沿岸地域に甚大な被害をもたらす。これまでの高潮研究では、高潮モデルにより潮位偏差を見積もるもので、その外力として傾度風モデルと気象モデルの台風を用いてきた。さらに高潮はその沿岸の地形と台風の経路や強度によって複雑に決まってくる。

そこで本研究の目的を三つ上げる。
①高潮モデルのインプットデータに気象モデルと傾度風モデルで再現した台風を用い、大阪に暴風をもたらし潮位偏差が大きかった2018年台風21号JEBIを対象として、両者の台風の高潮計算の精度を検証する。

②気象モデルと台風経路アンサンブルシミュレーションの手法を組み合わせ、JEBIの経路における日本沿岸の最大潮位偏差を算出し、台風経路や海岸地形の影響の受け方を調べる。

③気象モデルをインプットとして、疑似温暖化した伊勢湾台風の事例を含めた全15事例の台風でも最大潮位偏差を算出することで、幅のあるハザードマップを作成し、台風の特徴による潮位偏差の差を調べる。

2. 手法

 本研究は、気象モデルを高潮モデルにインプットする手法と、傾度風モデルを高潮モデルのインプットにする手法を使用した。また気象モデルでは台風経路アンサンブルシミュレーション(T-PES)を組み合わせた手法も用いた。それぞれの計算設定や方法を以下に解説する。

2-1. 気象モデル
 本研究ではWeather Research and Forecasting Model (WRF-ARW) Version 3.6.1を用いた。詳細なWRFの計算設定を表1に示す。これによって図1の、より現実に近い大気場が再現できる。



表1 WRFの計算条件


図1:WRFで再現した大気場の例

2-2. 傾度風モデル
 本研究では気象モデルの精度と比較するために従来使用されてきた傾度風モデルでも潮位偏差計算した。 気圧場にはFujitaの式を用い、風速は傾度風方程式から風速場を再現した。そして移動方向の効果をMiyazakiの式を用いて再現した。これによって図2に示す大気場を再現した。



図2:傾度風モデルで再現した大気場の例


2-3. 高潮モデル
 本研究は気象庁が使用している高潮モデル(JMA Storm Surge Model)で潮位計算を行った。使用した格子点値データセットはNumerical Weather Prediction Grid Point Value (NWP GPVs)で、海底地形も入力してある。そのほか計算設定は表2に示す。本研究は天文潮位を含めず、浸水も考慮していない。計算領域を図3に示す。

表2 高潮モデルの計算設定



図3-A:計算領域(北側)

図3-B:計算領域(南側)




2-4. 台風経路アンサンブルシミュレーション
 本研究では山崎(2017)の台風経路アンサンブルシミュレーション(T-PES)の手法を高潮モデルと組み合わせた。これは気象場を固定し地形場を東西または南北に平行移動することで、仮想的に複数の台風経路を作成することができる(図4)。この台風経路すべてに対し高潮計算を行い(図5)、日本全国の沿岸における最悪コースを調べた。本研究で対象とした台風事例は、疑似温暖化させた伊勢湾台風を含め全15事例である。各台風事例について、T-PESする上での関連事項を表3に示す。


図4:台風JEBIを対象としたT-PES結果


図5-A:JEBIが下関を通過した時

図5-B:JEBIが大阪を通過した時

図5-C:JEBIが東京を通過した時


3. 結果・考察

 本研究では、気象モデルと傾度風モデルをインプットとして潮位計算を行った。まずJEBIの観測結果と計算結果を比較し、アンサンブル結果を示す。その後ほかの台風事例のアンサンブル結果を示す。

3-1. 大阪港の時系列
 図6に大阪港での観測と気象モデル、傾度風モデルそれぞれで高潮計算した潮位偏差の時系列結果を示す。観測の最大潮位偏差は2.73 mであり、大阪港に最接近してから約50分後であった。これと比較すると、気象モデルでは最大潮位偏差は2.49 mと観測よりも0.24 m小さい値となった。一方傾度風モデルはさらに小さく2.11 mとなり、観測よりも0.62 mも小さい値となった。この差は入力した気象場が影響しており、最大潮位偏差となったタイミングでの大阪湾周辺の風速場を図7に示す。MSM解析図を見ると大阪湾海上に周辺よりも強い35 m/s以上の局地的な風が解析されている。これに対して気象モデルでは同じ大阪湾海上に30 m/s以上の局地的な風を再現できているが、傾度風モデルでは再現できていない。この差が吹き寄せ効果の影響を大きくさせた為、潮位偏差が異なる。


図6:大阪における潮位偏差の時系列


図7-A:MSM解析

図7-B:気象モデル

図7-C:傾度風モデル


3-2. 大阪港のアンサンブルシミュレーション
 図8にT-PESを組み合わせ、そのすべての経路で高潮計算を行い、各経路における大阪港での最大潮位偏差の結果を直撃コースを中心にして両モデルのグラフを示す。大阪港で一番気圧が低くなったコースを直撃コースとし、横軸の正は東側のコース負は西側のコースとなる。棒グラフは左側の縦軸に対応しており、各コースでの最大潮位偏差の値を示している。折れ線グラフは右側の縦軸に対応しており、最接近時からの最大潮位偏差となるタイミングまでの時間差を表し、正ならば最接近後、負ならば最接近前となる。

 直撃コースの最大潮位偏差は、気象モデルだと2.00 m、傾度風モデルは2.11 mとなった。そのほかの経路の結果では、西側20 kmのコースでは気象モデルで2.49 mと最大潮位偏差のピークとなっている。また西側20 kmのコースは実際のJEBIのコースであり、この結果から実際の経路は高潮被害においては最悪のコースであったことがわかる。

 発生タイミングでは直撃コースから東西60 km以内のコースは最接近時から60分後に最大潮位偏差となっていることがわかる。これは地形の影響によるもので、大阪湾は南西方向に開いている湾であり、南西風が発達する台風の後半で風の影響が大きくなる。

 西側60kmと西側80kmの気象モデルの最大潮位偏差を比較すると、不連続に変化していることがわかる。図*に大阪付近の風速場を示す。どちらも35 m/s以上の風速が吹いているが、風向が西側60kmでは南西の風が吹いているのに対し、西側80kmでは南の風になっている。大阪湾は南西方向に延びている湾であるので、吹走距離が変化し、不連続に減少していることがわかる。


図8:台風JEBIを対象とした大阪港でのT-PES結果


図9:最大潮位偏差をとった時の西側80 kmコース(左)と西側60 kmコース(右)の風速分布


3-3. 名古屋港のアンサンブルシミュレーション
 図10に名古屋港におけるアンサンブル結果を示す。名古屋を直撃したコースの最大潮位偏差は気象モデルだと2.29 m、傾度風モデルだと1.59 mとなった。実際のJEBIのコースは名古屋から見て西側140 kmのコースであり、JEBIでは名古屋に対しての高潮被害は大きくないといえる。また西側40 kmで気象モデルの最大潮位偏差が2.83 mと最悪コースであった。

 発生タイミングでは、直撃コースから東西40 km以内は最接近時から30分以内に最大潮位偏差となっている。伊勢湾は南側に延びている湾であり、南風が発達する最接近時にピークとなる。

 西側80 kmと西側100 kmに注目すると気象モデルの最大潮位偏差が不連続に変化している。この時の風速場を図11に示す。どちらも南南西の風が吹いているが、西側80 kmでは風速35 m/s以上の風速で、西側100 kmでは30 m/s以上と弱くなっている。これは地形の影響を受け等圧線間隔が狭くなり風速が弱まったからである。


図10:台風JEBIを対象とした名古屋港でのT-PES結果


図11:最大潮位偏差をとった時の西側100 kmコース(左)と西側80 kmコース(右)の風速分布


3-4. 全国版アンサンブルシミュレーション
 ここでは大阪港と名古屋港でのアンサンブル結果を示したが、これを北海道と沖縄を除く日本全国の沿岸で計算してきた。その結果を示す。

・最大潮位偏差マップ
 図12に各沿岸地点における最悪コースの最大潮位偏差をプロットした図を示す。2.5 m以上となっている地点は、有明海、周防灘、広島港、大阪港、名古屋港、豊橋、浦安、仙台港であった。これら全てに共通する点は、水深が50 m以下の浅い領域が広がっており、十分な吹送距離が確保できる地点である。一方で日本海側や東北では高潮被害は大きく出ないことがわかる。



図12:台風JEBIにおける気象モデルでの日本全国の沿岸における最大潮位偏差マップ

・最悪コースの最大潮位偏差グラフ
 図13に島根県出雲から本州南沿岸を通過し千葉県銚子までの両モデルの最大潮位偏差の結果を連続的にプロットしたグラフを示す。マップで赤色になっていた地点(瀬戸内海、大阪港、名古屋港、豊橋、浦安)で両モデルともピークとなっている。またピークとなった地点では、気象モデルの方が傾度風モデルよりも大きくなっている。このグラフやマップでは紀伊半島や四国南沿、富士周辺で最大潮位偏差が小さく出ているが、本研究では波浪の効果を加味していないため、これらの地点での潮位偏差が必ずしも小さいというわけではない。


図13:台風JEBIにおける各沿岸地点の気象モデルと傾度風モデルの最悪コースでの最大潮位偏差を出雲から銚子まで連続的に示したグラフ。

・最悪コースと直撃コースの差
 図14に各地点における両モデルの最悪コースのコースを出雲から銚子まで連続的にプロットしたグラフである。それぞれの地点を直撃したコースを基準として西側コースであれば負、東側コースであれば正とした。先ほど述べた最大潮位偏差の大きい地点では西側20-60 kmのコースを通過するときが最悪コースとなっている。これは台風の最大風速半径とほぼ一致している。また岡山西部から広島東部にかけては西側80-120 kmと遠く離れたコースで最悪コースとなっている。これは瀬戸内海を波が伝播して海水が押し寄せられ潮位偏差が高くなったからである。一部東側コースで最悪コースとなっている地点は沿岸が北側に面しているため北東の風が吹く東側コースで最悪コースとなる。



図14:台風JEBIにおける各沿岸地点の気象モデルと傾度風モデルの最悪コースを出雲から銚子まで連続的に示したグラフ。

・最悪コースの発生タイミング
 図15に各地点における両モデルの発生タイミングを出雲から銚子まで連続的にプロットしたグラフを示す。最大潮位偏差の大きい地点でも、周防灘、大阪港、名古屋港では最接近から60分以内に最大潮位偏差をとる。一方広島、豊橋、浦安では最接近時から120分ほど遅れて最大潮位偏差となり、海岸地形によって様々であった。


図15:台風JEBIにおける各沿岸地点の気象モデルと傾度風モデルの最接近時から最大潮位偏差となった時間までの差を出雲から銚子まで連続的に示したグラフ。



3-5. JEBI以外の台風での最大潮位偏差グラフ
 表3に温暖化伊勢湾台風を含めた全15事例の一覧を示す。それらすべての最大潮位偏差の結果を下関から銚子まで連続的に示したグラフが図16である。台風によって最大潮位偏差が3 mを大きく越す台風、越えない台風、2 mにも満たない台風など様々であった。最大潮位偏差は各台風で異なったが、5つの台風で最大となったのは有明海であった。その次に4つの台風で大阪湾が最大となり、2つの台風で備後灘、周防灘、最後に名古屋と広島港で1つずつとなった。

表3:実験した台風リスト


図16:15事例における各沿岸地点の気象モデルの最悪コースでの最大潮位偏差を出雲から銚子まで連続的に示したグラフ。



まとめ

 本研究では従来、高潮研究に使用してきた傾度風モデルの手法と現実的な大気場を再現した気象モデルで高潮計算を行った。
○目的①:台風JEBIの高潮シミュレーション結果は、大阪港における最大潮位偏差では、気象モデルの方が傾度風モデルよりも大きくなり、観測データとの差も小さくなった。この両モデルの違いは、吹き寄せ効果によるものであり、大阪湾周辺は周囲が平らな低地ではなく標高の高い山地となっているためと考えた。

○目的②:T-PESを用いることで大阪港、名古屋港ともに南風が卓越する、直撃コースよりも西側のコースで最悪コースとなることが分かった。 大阪港では西側60 kmと西側80 kmで最大潮位偏差が大きく変化した。これはコースが変化することで風向も変化し、吹送距離が変化したためと考えられる。
 名古屋港では西側100 kmと西側80 kmで最大潮位偏差が大きく変化した。これは風速によるもので、コースが20 kmずれることで等圧線間隔が変化し、風向は同じだが風速が大きく変化しと考えられる。

○目的③:JEBIも含めて全15事例で高潮計算を行った。台風によって最大潮位偏差を3 mを大きく越すもの、越さないもの、2 mにも満たない台風など様々であった。いろいろなコース、角度、強度の台風で計算することでより幅のあるハザードマップを作成することができた。

 本研究では波浪効果を考慮しないで解析を行ってきた。今後の展望としてはより現実的な高波対策として、波浪の効果を含めて解析していきたい。

謝辞

本研究には、指導教官の筆保先生をはじめ、気象庁気象研究所の高野洋雄氏のご指導の下、高潮シミュレーションを実行しました。また京都大学の森信人先生、竹見哲也先生にはシミュレーションの技術から高潮の知識まで幅広く意見していただき大変深い学びとなりました。関係各所に感謝の意を表します。

作成:大滝 2021/3/15