2023年度 修士論文

新興科学技術の実証実験ガバナンスのあり方
−米国のハリケーン制御研究(Stormfury計画)を素材として−

横浜国立大学大学院 先進実践学環
リスク共生 阿部未来

指導教員:筆保弘徳 教授, 笹岡愛美 教授

研究背景

先行研究によって、新興科学技術が社会に導入されるまでの過程は、研究開発・実証実験・社会実装・社会的普及の4段階に分けられ、段階によって技術の成熟度や社会との関わりの度合いが異なるため、4段階それぞれに合わせたガバナンスを検討する必要があることが指摘されている(松尾&岸本, 2017)。

新興科学技術で社会に導入されたものとして自動車の自動運転技術を紹介する。4段階ごとに走行可能なエリアを徐々に拡張していくというガバナンス設計がされている(国土交通省, 2022)。研究開発段階ではまずコンピュータ上・もしくはラボ内の実験のみが許され、実証実験は一般道ではなく専用の実験場で行われ、技術の成熟に合わせて社会実装の段階に移行しまずは人の往来のない高速道路での走行が許可され、最終的に一般道での走行が可能になるという順序で社会に導入された。

2022年、内閣府ムーンショット目標8「気象制御」にコア研究「安全で豊かな社会を目指す台風制御研究」(筆保PM、笹岡PI他)が採択され、台風制御研究が開始した(以下台風制御研究と呼ぶ)。台風への介入手法が様々検討されている。例えば、上空から雲の核となる物質(ヨウ化銀・ドライアイス等)を散布するクラウドシーディングや、洋上に風の抵抗となる物体(鋼鉄でできた帆船・風車・カーテン)を置くこと(Horinouchi & Mitsuyuki, 2023)、海洋温度差発電(深層から低温の海水を組み上げ表層のあたたかい海水との温度差をタービン発電気により電力に変化する)を用いること、海面に水蒸気の蒸発を抑制する物質を散布することなどが構想されている。

図1. MS8コア研究(台風制御研究)の組織図、4つのアプローチ方法

科学技術の研究開発や実装プロジェクトは、社会に与えるELSIをあらかじめ考慮し、社会に対して責任のある研究・イノベーション(Responsiblr Research and Innovation; RRI)を推進すべきとの考えから、台風制御研究においても、プロジェクト発足当時から、プロジェクト内にELSIを専門に検討するチームが編成された(以下ELSIチームと呼ぶ。著者もELSIチーム(笹岡PI)に所属している)。ELSIチームは法学・法哲学・倫理学・気象行政等多様なバックグラウンドを持つ研究者で構成されている。ELSIチームを中心に、気象学的アプローチ・工学的アプローチ・影響評価チームと対話を行い、台風制御研究のガバナンスについて検討を進めている。

図2. MS8コア研究(台風制御研究)のマイルストーン

現在(2024年3月)、台風制御研究は、数値シミュレーションや屋内のラボ実験を通して実現可能性のある制御手法を検討している研究開発の段階である。2050年に社会実装、すなわち上陸し甚大な被害を及ぼすことが予報された台風に対して制御を実行することが目指されている。数値シミュレーションで有効な制御手法が見つかっても直ちに社会実装段階に移行することはできない。現実大気において実証実験を行い効果を検証、計算機上、ラボ内での結果との比較を行う事が必要である。プロジェクトにおいて、2040年に台風に対して実証実験を行うことが、2030年にはその前段階として積乱雲に対して実証実験を行うことが検討されている。

研究開発段階から実証実験段階へと円滑に移行するためには、研究開発段階から並行して実証実験ガバナンスを検討する必要がある。

研究目的

本研究の目的は台風制御の実証実験ガバナンスのあり方を検討することである。このため、米国のStormfury計画(1962-1983)について文献調査(295編)とインタビュー調査(4名)を行った。

ケース選択

ハリケーンは、北大西洋・カリブ海・メキシコ湾および西経180度以東の北東太平洋に存在する熱帯低気圧のうち、最大風速が約33m/s以上になったものを指す。ハリケーンと台風は、対象海域と風速の基準が違うものの、どちらも熱帯低気圧の構造を持っていること、また熱帯低気圧のうち一定以上の強さになったものである。

Stormfury計画において、米国は独自に実証実験の実施基準を定めて大西洋で実証実験を実施し、日本・台湾・フィリピンなど太平洋諸国に北西太平洋で実証実験を実施することを提案し、国際的な議論(国連台風委員会・日米科学協力セミナー・大使館を通じた交渉)を行なっていた(1970-1974)。結果として北西太平洋での実証実験は実施されなかった当時なぜ北西太平洋での実証実験実施に至らなかったのか当時の国際的議論の論点は何だったのかを明らかにすることで、現代のガバナンスの議論への示唆が得られ、台風制御の実証実験ガバナンスのあり方の検討につながると考えた。

Stormfury計画の北西太平洋での実証実験をめぐる議論

1970年に太平洋における実証実験基準案が米国から日本・台湾・フィリピン等太平洋各国に対して提案され、台風委員会等の議論を通して議論されていた。左の文章は実際の基準案の内容、右図がそれに対応した実証実験領域を示している。1970年から1974年にかけて実験領域の定義や基準案の値が2度改定されていた。

米国が提案した実施基準案は5つの要素から構成されていることが明らかとなった。

1974年に米国から提案された基準案「Guam から 600 海里以内にあって、最終シーディング後 24 時間以内に人の住んでいる地域から 50 海里の圏内に入る可能性が10%以下のハリケーン(最大風速 65 kt以上)にのみシーディングを行う」を参照する。

国の設定した実施基準は、クラウドシーディングの効果を正確に判定することに重きが置かれていたことが明らかになった。

しかし、1970年から1974年にかけて米国と太平洋諸国との議論では、実証実験の実施基準を定めるにあたり、クラウドシーディングの効果を正確に判定することに加えて、陸上の安全を保障すること・市民の理解を得ること・国際的な合意を得ることを基準に組み込むことが目指された。2度にわたって改定された実験領域の定義や基準案の値を紹介する。

1970年から1974年にかけて、実験基点から沖縄が削除されていた。これは、日本代表が沖縄及び本島への、実験による予期せぬ影響(副作用)を指摘し反対したためである。また、最終シーディング後から台風が陸地に接近するまでに確保すべき時間については、18時間から24時間に拡張されていた。これは、日本代表が、勢力の強い状態で台風が接近・上陸することを指摘したことによる変更である。

1974年には、台風中心がどの程度陸に接近することを許すか、陸までの接近距離が50海里から270海里に変更された。これもまた日本代表が勢力の強い状態で台風が接近・上陸することを指摘したことによる変更であった。

結論