イントロダクション
研究の背景
幼児教育の重要性の高まりと保育環境の抱える問題
幼児期の教育の重要性
最近、幼児期における教育の重要性が注目されている。「子どもを取り巻く環境の変化を踏まえた今後の幼児教育の在り方について」
(平成17年 中央教育審議会答申)によると、幼児期には学習意欲や態度の基礎となる好奇心や探求心を養い、小学校以降における(中略)重要な役割を担う、とある。
それを受けて、平成18年には改正教育基本法で、「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである」と「幼児期の教育」が初めて規定された。
保育所における教育~保育所保育指針~
保育所における保育の内容は、厚生省が告示する保育所保育指針(幼稚園においては、文部科学省が定める学習指導要領)に基づいている。第3章「保育の内容」の(2)教育に関わるねらい及び内容における5分野のうち、ウ「環境」では「周囲の様々な環境に好奇心や探究心を持って関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う」ことが目指されている。
また、その中で
- 身近な環境に親しみ、自然と触れ合う中で様々な事象に興味や関心を持つ。
- 身近な環境に自分から関わり、発見を楽しんだり考えたりし、生活に取り入れようとする。
- 身近な事象を見たり、考えたり扱ったりする中で、物の性質や数量、文字などに対する感覚を豊かにする。
と、保育所における生活の中での目標が示されている。
保育の「量」「質」需要の高まりと園庭のない保育所の急増
社会構造の変化により、保育所利用児童数はこの20年で約100万人増加し、横浜市ではこの10年で2倍になっている。
それに伴い、共働き世帯の多い大都市圏を中心に保育所数が急増している。3歳以上の小学校就学前の児童は148万人、当該年齢児童のうち、47%の児童が保育所を利用し、就学前教育の場としても重要さを増している。
児童福祉施設等設置最低基準によれば、保育所の屋外遊戯場(園庭)は近隣の公園等を当てても良いとされており、都市部を中心に園庭のない保育所が増加している。
東京都区部の一部の認可保育所では80%が、また認証保育所では91%が園庭を持たない。同様に大都市や周辺の都市圏でも、身近な自然環境に触れる重要なフィールドである「園庭」のない保育所が増加している。
子供を取り巻く環境が変化する中
ビル型の保育所でも観察できる「気象」を教材として注目!
~庭は無くても空(そら)はある!~
▲保育所利用児童数・施設数の推移(厚生労働省「保育所等関連状況取りまとめ」より抜粋)
先行研究や調査
保育所における領域「環境」に関する先行研究の例
太田(2004)中村(2011)などによる保育所における自然観察の取り組みに関する研究→園庭での観察や活動に関するもの
→ 室内で長期間「環境」に取り組んだ研究例は少ない
気象分野を題材とした科学教育の先行研究の例
小学校以上、高校までの学習指導要領に沿った研究(観測・教材の工夫や衛星画像を使った授業)はあるが、保育所での長期間の実践の例は無い。
生徒が興味を持つ激しい現象は、いつ見られるか事前に予測することが難しく授業の中で観察しながら学習することはきわめて困難である(島貫,1996)="気象の特異性"
⇔固定されたカリキュラムのない保育所の強みが生かせること
初歩的な科学技術コミュニケーション・防災教育としても気象教材は有効ではないか?
研究目的
- 気象分野の特性に着目し、自然観察の教材として保育者が日々の天気やその変化を取り上げ、
児童の気象現象に対する認識や変化を調査する。
- 未就学児童を対象とした新たな気象教材を開発する。
研究手法
調査対象・方法
調査期間
2015年4月~2016年3月
調査場所
横浜市内の認可外保育園(雑居ビル3F・園庭なし)
対象
53名(うち年少児 7名 年中児 5名 年長児 8名を主な対象とする)
方法
- 参与観察法(研究者(気象予報士・保育士)がクラス担任)
- 半構造化面接法
- プロトコルの質的調査・量的調査(KH Coderを使用…開発/樋口耕一氏)
なお、プロトコルの収集はデジタルカメラ等を用い、職員の協力を得て安全に十分配慮して行った。
事前の取り組み(2015年4〜5月)
- 行事の前の日に、保育士が翌日の天気に触れる
- 特異な気象現象が予測される場合(高温、急な雨、台風)には、あらかじめ知らせる。
- 日中に雨が降り始めた時など、その変化を取り上げる。
- 1日の中で天候の変化が予想される時は、朝の会などで時系列のピンポイント予報を板書しておく。
(散歩や給食など生活時間と対応させて書いておく)
- もくもくした雲(積乱雲)は「かみなりぐも」であること。また、その下では雷や雨が降っていることがあることを伝える
研究結果
プロトコルの概要
参与観察で得た2015年5月~2016年3月、合計3時間23分44秒(70ケース)の映像データをテキストデータに変換した。
得られた発話は児童が1,968回、保育者が1,509回、他(VTRなど)が27回であった。
量的分析
プロトコル頻出上位40語を抽出
- 動詞「降る」「言う」「見る」「行く」「来る」
- 名詞…「雨」「雲」「台風」「天気予報」「風」「氷」「水」「太陽」「かさ」「雪」
- その他…「暑い」「今日」「葉っぱ」
動詞の傾向
雨に関連する「降る」、また「行く」「来る」など動きを自分の視点で捉える表現(児童における前操作期(〜7歳児)の特徴)が見られる。「見る」に対して「聞く」ではなく「言う」が上位に来ていることが特徴的である(→共起ネットワークによる分析へ)
気象現象に関する名詞が頻出
身近で印象的な気象現象「雨」「雲」「風」、また荒天時に頻出した「台風」が上位に見られた。生活に影響する気象現象であるとともに、「嵐」と同義で使う場面が多くみられた。
共起ネットワークによる分析
▲プロトコルから得られた共起ネットワーク
「雨」と「降る」が頻度が高く、かつ共起の度合いが大きい
発話回数、頻度とも多かった。気象に関する話題の中では、「雨が降る」ことに関するものが多くを占める。
「言う」をハブとしたネットワーク
他のグループの単語とも共起の度合いが大きい様子がみられる。(→KWICコンコーダンスによる分析へ)
「天気予報」「テレビ」「見る」のつながりがある
テレビなど、メディアの天気予報を認識している様子が伺える。
時制では「今日」「昨日」「夕方」「夜」などが多い
当日中や、前後1日の話題が多い様子が見られる。
「言う」に関するKWICコンコーダンス
▲「言う」の前後の言葉を抽出した結果(一部抜粋)
前項までで、「言う」という単語がプロトコル中で特徴的な振るまいをしていることが示唆された。KWICコンコーダンスで文脈中における使われ方を見たところ、「ママが言ってた」「天気予報で言ってた」「31℃、って言ってた」などと、伝聞・連用形が9割以上を占めていた。保育士に情報を伝えようとする場面も多くあり、情報を得ようとする行動にも繋がっている姿もある。また、メディア(テレビ)で情報を得るにも関わらず、「見る」ではなく「聞く」と、主に情報を聴覚から得ている様子が伺えた。(→教材開発予備調査へ)
質的分析
気象情報をキーワードで捉える
メディアの情報の中で、知っている単語や特徴的な単語(保育所の中で触れていた「熱中症」や登園にも影響が出る「台風」など)を手がかりに、情報として意識する様子が見られた。
情報を生かし簡単な観測と行動ができる
朝の天気予報で雨が降るという情報をもとに、黒い(灰色の)雲に対して意識をして観察する様子が見られた。
「青い」雲?!
快晴の日に、「雲がない」という表現ではなく、「今日は青い雲だらけ」という発言が見られた。(年中児)
学びのネットワークが生まれる
クラスの中で天気や温度に関する会話や情報のやり取りがあったり、異年齢児の間で「黒い雲」は「雨の雲」といった認識が時期を経て伝わっていく様子が見られた。
自発的に天気を予測する年長児
取り組み始めて数ヶ月で、自発的に天気を予測して行動(降雨の回避)をする年長児の姿がみられた。
▲休日の子供の様子を記した保護者からのノート(一部画像処理しています)
教材開発予備調査
未就学児童はメディアの天気予報を視覚的にどう捉えているか?
日本の中から関東地方を選び、情報を取り出すことができるか?
日本地図に天気のアイコンを描き、住んでいる所(関東地方)の情報を選ぶことができるかに関し、未就学児童一人一人に質問を行った。
▲日本列島の地図から情報を選び出す設問
結果…年長(5歳児) 6人/8人中
年中(4歳児) 1人/5人中
年少(3歳児) 0人/5人中 が正解
関東地方の中から横浜を選び、情報を取り出すことができるか?
質問1で答えることができた年長児を対象に、関東地方の地図から「横浜」の情報を取り出せるか質問した。
▲関東地方の地図から情報を選び出す設問
結果…年長(5歳児) 1人/6人中 が正解
気象資料から何を読み取ろうとするか?
テレビの天気図から何か読み取ろうとするか?
ごっこ遊びの中で、「お天気キャスターごっこ」を行い、ディスプレイの前で自由に発言してもらった。
▲天気図を示したディスプレイの前で「天気キャスターごっこ」をする児童
結果…一部の未就学児童が、高気圧(青色で表示)は「寒いところでしょ」、低(赤色で表示)は「暖かいところでしょ」と説明する姿があった。時間とともに変化する(動く)とも解釈していた。
タブレット端末を用いた気象情報(XバンドMPレーダーのリアルタイム降雨情報)を利用できるか?
前項の結果を受け、色と形で表現され、タブレットで見ることのできるXバンドMPレーダー(降雨レーダー)のデータを児童に見せた。寒冷前線通過の驟雨と強風が観測された際、赤>水色と降雨強度が違うことは事前に伝えてある。
▲MPバンドXレーダーによるリアルタイム降雨情報を表示する端末の周りに集まる児童
結果…年長児を中心に関心を持ってタブレット端末の周りに集まっている。GPSの現在位置表示と対応させ、「今ここにいるんだよ」「赤いのが近づいてきた!」「ヤバいヤバい!」とレーダーエコーの動きを予測し、強雨を予想できている。また、窓の外の様子と対応させて雨を観察する様子もみられた。
研究結果まとめ
プロトコル量的分析のまとめ
・70本のプロトコルデータを収集
・頻出語上位は雨・降る・雲・言う・見る・台風
・「雨が降るって」「言ってた」と情報を耳でとらえる
・「テレビで」「天気予報を」「見る」 →教材開発予備調査へ
・自分と対象の中で動きを捉える「前操作期」の特徴(自分以外の第3者の視点が未発達)
・テレビや親から得た天気予報などの情報を保育士に伝えようとする
質的分析のまとめ
・気象情報を耳(キーワード)で捉える
・情報を生かして観察(観測)をしようとしたり、予測や行動ができる
・経験のない概念は理解が難しい
・学びのネットワークが生まれている
教材開発予備調査のまとめ
効率よく多くの人に情報を伝える一般向けテレビの天気予報から、児童が必要な情報を得るのは難しい。
また「漢字」や「数字」もネックになる。一方、色や形のイメージなどは明確に持っており、
リアルタイムに変化する気象現象には興味を持って情報と対応させる様子が見られる。
→園庭のない保育園でも、気象現象や情報を教材として取り組むことができた。しかし、数字や漢字を使わず、イラストやアイコンで表現する気象情報教材を開発することで、未就学児童が主体的に気象に関心を持ち、効果的に取り組むことができる可能性がある。
教材開発
未就学児童向け 天気予報アプリケーション「SORAKIDS」の開発
前項までの結果を元に、(株)ウェザーニューズの全面的な協力を得て、未就学児童向けアプリケーション「SORAKIDS」を開発した。(https://weathernews.jp/s/childで2017年2月より公開【位置情報ON】)
▲SORAKIDSの表示画面
漢字や数字を使用せず、アイコンのみで気象情報を表示
研究で得られた知見を元に、未就学児童の理解の妨げになっていた漢字や数字を使わずに天気予報を表示。
1時間毎の時系列予報を表示
「のち」や「時々」の概念は児童が理解し難いため、一日の天気の変化を踏まえながら児童が窓の外の気象状況と対応できるよう、一時間毎の天気の予想を9種類のアイコンを用い、予想される天気を時系列で表示。
注意報・警報もアイコンで表示
変化する情報に児童が関心を示すことと、将来的な防災教育の観点から「注意報」「警報」もアイコンで表示。
クロスプラットフォーム対応
タブレットやパソコンの他、スマートフォンなどでも見られるようにWEBアプリとして開発。ブラウザが搭載されている端末であれば表示が可能。
実証実験
調査期間
2016年10月~2017年1月
調査場所
横浜市内の認可外保育園(雑居ビル3F・園庭なし)
調査方法
児童が自由に見られるようにタブレット端末を居室に設置し、アプリケーションをどのように
利用する姿が見られるかに関して、保育園の職員への聞き取り調査を行う。また、年長児・年中児・年少児のグループに分け注意報や警報のアイコンに関する捉え方を調べる。
▲「SORAKIDS」実証実験の様子
調査結果
児童のアプリケーションの使用状況(職員への聞き取り)
・年長児を中心に自分で興味を持ち、熱心に見る姿がある。
・行事の日などにはほぼ全員が見てシェアする。「明日は晴れマークだね」「よかったね」(10/上旬運動会・10/28 ハロウィンパレード)
・注意報などのイレギュラーな情報に興味を持つ。
・得た情報を、保育士や送迎時に親とシェアしようとする。
児童の注意報・警報アイコンに関する調査
・「雷」「強風」→イラストを災害と結びつけ、すぐに注意すべき情報と判断できた
・「波浪」「乾燥」→年齢によって捉えることができる注意すべき情報と判断できた
・「大雨」「大雪」→現象は理解できているが、それが災害には結びつかない
・その他の注意報や警報に関しては、イラストから警報が表す災害を理解したり、現象の理解には結びつかなかった。
まとめ
★2015年から2016年にかけ、横浜市内の園庭のない保育所において、気象現象やメディアの天気予報を、保育所保育指針における「環境」分野の一つの教材として取り組んだ。1年間にわたり児童の様子を記録した結果、次のことがわかった。
・気象情報を主に耳からとらえ、情報を生かそうとする。
・「熱中症」「台風」などのキーワードに注目している
・年長児は雲の様子の観察など、簡単な観測から天気の変化を予測でき、さらに行動に移すことができる。
・精神発達の段階も含め、経験のない概念は理解が難しい。
・”空”という教材の下にクラス内で学びのネットワークが生まれた。
・保育所保育指針「環境」の目指す所がある程度達成されている。
・ 一般向けの天気予報は未就学児童は理解が難しく、漢字や地図に散在する情報が理解の妨げとなる
・ 年長児は色や形から天気図やレーダーデータなど、気象資料の解釈をしようとする。
・ 年少児も「晴れ」や「雨」などの天気アイコンを理解する。
★調査結果を元に、未就学児童向け気象時系列予報表示アプリ”SORAKIDS”を開発した。
・年少児も時系列予報など、気象情報を理解することが可能となった。
・年長児中心に情報を生活に生かそうとする姿があった
・気象情報を他者とシェアする姿がある→学びのネットワークが生まれている。
・注意報等の情報に興味を持つが、一部の理解は不十分である
→ 方法または表現の改良で、防災教育としても取り組むことができる
・窓の外の「環境」―気象現象に興味を持つ教材として、保育所保育指針の目的に沿った活動ができた